タイトル

企業内格差

 鉄道におけるサービスというのは、基本的に平等でなければなりません。旅客はどの駅員からも等しく同じサービスが受けられなばならず、どの乗務員の電車に乗っても同じ正確さで旅行ができなければなりません。なので基本的にどのスタッフも同じ能力を有していなければなりません。同じ能力というと少し語弊があるかな。等しいサービスを提供できるための能力条件を全員がクリアしていると言えばよいでしょうか。
 鉄道業では、ノルマや業務成績目標はありません。列車にたくさん旅客を乗せても、歩合給が発生することはありません。当たり前ですね。また、会社としても社員に能力や成績の個人差を求めるべきではないのです。少なくとも運輸現場の係員については、等しい能力を求められるべきです。
 しかしながら、最近の鉄道会社は運輸の現場にも成果主義や能力報酬のシステムを導入したがります。同じ車掌、同じ運転士でも能力に応じて階級差をつけ、いたずらに競争をあおります。昇給や昇進を餌に会社に服従させようとします。
 運輸の現場で、いったい何を競うのでしょう? 列車の運行速度を競うわけにもゆきませんしね。要するに、ゴマすりと蹴落とし合いをさせたいわけです。これによって職場の団結を阻止し労働運動を骨抜きにして、賃金や労働条件の引き下げを遂行しやすくするのです。
 安全を犠牲に営利至上主義を強行しているのが、現在の鉄道会社の実態です。鉄道ばかりか公共交通機関全般が同じ劣悪体質に傾倒しているんですけどね。

 クルマ社会の発達や小子化等の要因で鉄道の業績は、もうずいぶん以前から慢性的に伸び悩んでいます。しかしながら投資家(株主)に対しては右肩上がりの業績を示し続けねばならない。この途方もない矛盾が鉄道会社を脅かし続けています。上がらない右肩を上げ続けなければならない、物理的に不可能ですよね。でも経済という名の壮絶な愚行は、企業にこの不可能を要求し続け、人を切り捨ててでも企業景気の維持を優先させるのです。
 平成の世になって以降、わずかな市場の景気好転は、弱者を犠牲にして得た差益によるもので、純粋な生産による景気の好転はIT等を除いてあまり見られなくなってしまいました。
 経済という名の魔物に蝕まれた社会で、人とその安全が犠牲になり続けているのです。いったい何のための人間社会なのでしょうね。社会という幻を食い太らせるために人を犠牲にし続けるなんて。人と人とが手を取り合って安全快適に暮らせるようにする、それが社会というものの目的のはずじゃないですか。
 列車が脱線転覆したり、飛行機が墜落したりして、多くの人命が奪われ、資産家たちの大好きな株券が白紙に帰しても、経済の暴走は止まりません。

コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

●本著の読み方
最初に目次(↓)を表示させ、各項目を
クリックして記事をお読みください。
記事は基本的に上から順番に読みます。

サイト内検索

姉妹サイト:ももにゃん

姉妹サイト:ももちゅう


recent comment

プロフィール

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM