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労働者の実力

 労働者は、企業や社会の中で圧倒的多数を占める人員でありこれはひじょうに大きな力です。ひとりひとりの力は小さくても、それを合わせるとたいへん大きな力になります。理屈では解っていても、どうやれば団結できるのか、そのために自分の時間や労力がどれだけ失われるのか、昇級昇進の妨げになるようなことはないのか。いろいろ心配ですよね。しかしながら、団結力で圧政を跳ね返さなければ、賃金も労働条件も改善されません。労働者が弱い状態のまま自分だけ昇進しても、名ばかり管理職になってこき使われるだけです。そして精神的に追い詰められ、体を壊してしまう。いくばくかの昇給と引き換えに大きな犠牲を払うことになります。
 ひとりの意見は、愚痴や反抗と見なされ、不利益を被ることもありますが、大勢の意見を愚痴や反抗と見なすわけにはゆきません。相手はそれを真摯に受け止め、前向きに検討しなければならなくなります。それが団結力です。
 労働者は、団体交渉権やスト権といったひじょうに大きな権利を有していますが、その本当の意義を理解している人が少なすぎます。賃上げ交渉は、会社が選んだ組合役員がやるんだから、まともな交渉ができるはずがない。スト権投票をしてスト権を確立しても、ストライキを打たないのなら意味がない。大勢の労働者がそんなふうに考えています。つまり自分たちの真の力を認められないのです。たいへん残念なことです。
 では、我々に実質的な力が本当にあるのか、具体的に見て行きましょう。

 まず、スト権投票ですが、これはストライキ行動を行使するために労働者の過半数の賛成意見を集めるものですが、ストライキと言えば、仕事を放棄して会社に要求を突き付ける、過激で大掛かりな統一行動です。個人でこれを行なえば職場放棄は厳罰の対象になってしまうところですが、労働者が団結して行なえば正当な意思表示になります。
 労使協調路線を歩んで来た最近の鉄道は、電車を止めて会社に要求を突き付けるようなことは皆無になってしまいましたが、今でもスト権投票は行なわれます。そして多くの労働者がこれに賛成票を投じます。ストを構えて春闘に臨み、要求が通らなければストを敢行すべきだという熱い思いで投票しているのです。
 でも組合はストを打ちませんし、私鉄総連も各労組に対してストを指示しません。総連や組合の言い分は、他産業が不況にあえぎ低い賃金と低い労働条件に甘んじている時代に、鉄道だけが強行策を講じることは世論が認めない、そんな具合です。むかしは国民春闘と称して、他産業の労働運動をリードするために強硬な行動をとってきたのに、ずいぶん弱気になったものです。
 それならスト権投票に何の意味があるのだ、それが多くの労働者の素朴な疑問だと思いますが、組合幹部が日時を設定して会社との直接交渉に臨むとき、スト権投票の賛成票が多いほど、組合側はそれだけ強気に出れるのです。これはひじょうに大事なことです。スト権投票の投票率が低下して行ったり、反対票が増えて行ったりすれば、将来的にストライキやスト権投票がなくなってしまうかも知れません。スト権投票を無駄と考えることなく、熱い思いで賛成票を投じ続けましょう。

 労働者が賃上げや労働条件改善の要求をまとめ、労使の各代表が日程を定めて討議することを、団体交渉といいますが、鉄道各社では組合役員選挙に会社が不正に介入することが常識化してしまっているので、労働者の組合の代表に対する不信感が大きく、団体交渉でも充分な討議が行なわれているのか疑問視する人が増えています。
 確かに民主的な立場からの候補者が、会社側の組織選挙でことごとく敗退する状況は、大いに憂慮すべき自体ですが、それを許し組織選挙に荷担しているのは、労働者自身です。つまり団体交渉が会社優位に進んでしまうのも、労働者が悪いのです。
 労働組合が極めて会社寄りであったとしても、会社の御用組合に成り果てているのだとしても、団体交渉をはじめ、会社に対して直接交渉を行なうのは組合です。そして労働組合の名を冠している限り、役員は労働者の要求に対して"ノー"ということはできません。
 多数の賛成票のスト権投票結果を持って、労働者からの強い要求を持って、それでも会社とまともに交渉しない組合はありません。今の組合役員は、役員の地位を自分の出世の足掛かりにしているなどという声をよく耳にしますし、それも否定しませんが、大勢の労働者の強い突き上げを跳ね返してまで、会社の味方をし続けるなんてさすがに無理です。労働者の突き上げが強ければ強いほど、組合も会社の味方がしにくくなります。

 労働者は、団結力で会社と対等に討議し、要求を勝ち取ることができます。労使対等の原則が揺らいでしまうのは、会社が悪いのでも、組合が弱すぎるのでもありません。会社は労働者から搾取したい、そういうものなのです。たくさん働かせてたくさん生産を上げさせ、賃金は低く抑えたい、それが会社なのです。そのためなら企業倫理に反することだって何だってやる、それで業績を伸ばせるなら、それが会社のため、ひいては働く者にも安定した雇用を与えられる、それが企業の考え方というものです。
 これに対して労働者の立場は、労働者が豊かにならなければ経済も回らないじゃないか、労働者が貧乏だったら企業が生産してもそれを消費する者がいないじゃないか、企業倫理もきちんと守らないと、いつかとんでもない失敗をして大きな損害を被ることになる、といったものです。
 労使対等の考え方は、双方の立場からの意見が拮抗している状況から、双方にとって最も良い結果を導き出すというものです。なので労働者が、会社寄りの考え方をして、良い成果は得られません。それは自分の目先の欲だけを考えた利己的な判断に過ぎません。
 そういう自分本意の生き方をした結果、精神的に自滅してしまった人、名ばかり管理職としてあえいでいる人、定年後に我々と目も合わせられず逃げるように去って行く寂しい老後を歩んでいる人、そんな人たちを筆者はたくさん見てきました。同僚の足を引っ張り、労働者の権利を犠牲にした結果がこれでは、誰も浮かばれませんね。加えて企業も国の経済も弱体化してしまった。
 労働者は、会社を愛するがゆえに労働者としての立場を貫徹すべきです。それが労使双方に良い結果をもたらし、後輩や次の世代に明るい職場、明るい世の中を残すことにもなるのです。
 労働者は、あきらめてはいけません。労働組合を見放してはいけません。それは自分自身を見放すことに他なりません。自分と職場仲間の力を信じて団結しましょう。道はきっと開けます。開けるのです。開けなければ、このままでは、人間社会は終わってしまうじゃないですか。終わらせないための力を、我々労働者が持っているのですよ。

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