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リーダーシップの落とし穴

 労働運動にとって重要なことは、大勢の力を集結させることと継続し続けることです。そのためには、あまりムキになって頑張り過ぎてはいけません。激しい闘いよりも穏やかで長続きする運動を継続し、後輩へ受け継いでゆかねばなりません。
 労働運動は、会社の労務政策のように監督職が仕事中に高給をもらいながら行なうものではありません。労働者が、自分の時間と労力を使って公益のために行なう、ボランティアのようなものです。ボランティアと違うことは、救済する相手が自分及び同僚という点です。それと企業に対する浄化作用、雇用の確保、社会的影響力といった大きな意義も包括しています。

 労働運動に参加することによって団結力が育まれたことが実感できるようになると、それが楽しくさえなって来ます。自分の行動が同僚を助け、社会にも貢献できるという満足感はたいへん心地良いものです。他人や世の中の役に立ちたいという欲求は健全な人間が強く抱いているものです。
 でも、ここで注意が必要なのは、一生懸命になりすぎてはいけないということです。激しい短期決戦ではなく、穏やかな長期戦を延々と続ける必要があるわけですから、肩の力を抜いて、実力の半分かそれ以下を出し続ける気持ちで気長に運動を続けましょう。
 闘い方や方法論に熟達して来ると、職場から頼りにされることも多くなりますが、自分が職場のリーダーシップをとっているような気持ちを持ってはいけません。責任感に燃え職場仲間を先導しようとして逆に職場から敬遠されたり恐れられたりすることもあります。リーダーは仲間を叱咤激励して理想的な統一行動を目指そうと頑張るものですが、頑張り過ぎると空回りになって誰も付いて来なくなります。リーダーの言うことは正論で、みんなそれに付いてゆくべきなのですが、人にはそれぞれ事情があるし性格や実力の差もあります。誰もがリーダーのようにできるわけではありません。それと、実力がある人でも、他人のリーダーシップによってつぶされることも少なくありません。実力のある人は、リーダーの女房役として、意見したり仲間をかばったりしますが、それをリーダーが自分への批判や反駁であると受けとってしまうと、団結力にひびが入ります。
 また、あまり鷹派な態度をとりすぎるのも良くありません。労働組合の態度を厳しく批判し、会社を目のかたきにし過ぎると、若い人たちや穏健派にとって脅威になってしまいます。会社は監督職をけしかけて、常に若い人たちや穏健派を抱き込もうとしています。運動推進派は会社にとって宿敵なので、運動推進派と付き合うと昇進できないとか、会社がつぶれてしまうとか、熱心に説き続けます。運動推進派が鷹派であればあるほど、会社の思うつぼなのです。会社の心理戦をなめてはいけません。監督職の話しは極めて利己的で、要領よく勝ち組になれということしか言っていないのですが、言われる方は、上司という威圧に負けて理性を失いがちになります。詐欺に引っかかる心理と似ていますね。

 労働運動は、横社会です。運動に熟達した人はリーダーシップをとりがちになりますが、その人を中心に縦社会を築いてしまってはいけません。団結力が強くなればなるほど、その中で中心的な役割を果たす人が目だって来て、組織化が進み、いつの間にか縦社会化が進行してゆきます。団結力とは組織力であり縦社会化とは両刃の剣でもあるわけで、縦社会化の否定はともすれば組織力の否定にもつながりかねないので、たいへん難しいところです。

 組織力がついて来て、集団としてのまとまりが出て来ると、集団の中で中心的役割を担う者とそうでない者が生じて来るものです。そして実質的役割を成す人間の数は集団の3割ていどで、あとの7割はあまり機能していない頭数だけの人員になります。この、質的人員と量的人員の配分もまた、組織力の宿命みたいなものです。
 では、量的人員は無能なのかというとそうではなく、組織というものの体質が自然にそれを要求してしまうのです。量的人員は状況に応じて質的人員と入れ代わることがあり、それによって組織の様相が変わったりします。
 人間はそれぞれ考え方や才能が異なり、集団は可能な限り様々な個性を含有するべきです。その多くは量的人員となり、機能性は低いけれど集団の規模を構築する役割を担います。また集団のおかれた状況というものは変化してゆくので、それに応じて量的人員の中から質的人員へ移行する者が現れ、逆に質的人員から量的人員への移行も起こります。
 横社会では、こうした人員の移行は昇格や降格ではありませんし、そう考えるべきでもありません。集団が状況の変化に対処するための能力なのです。例えば、これまでアナログな方法で掲示物等を作っていた集団が、周囲の反響に応じてデジタルな方法に移行しようと判断したとしましょう。すると、達筆で掲示物作成に力を発揮していた人が量的人員へ移行し、マニアックなパソコンの達人が質的人員へ移行するといった事態が起きるかもしれません。
 それと人間はいろんな集団あるいは社会に属し、あるところでは質的役割を演じるものの、別のところでは量的人員に甘んじていたりします。人にはそれぞれ得意分野と役割があって、そのそれぞれが社会にとって必要なのです。

 横社会的集団においても、質的人員と量的人員という役割の差異が生じて来る時点で、縦社会的な組織化が始まるわけですが、縦社会とのちがいをきちんと把握しておけば、縦社会化の弊害を防ぐことができます。組織力が大きくなっても横社会の利点を活かし続けることができます。
 縦社会では、質的人員と量的人員は、幹部と一般人員に明確に区分され、両者の間には主従関係が生じます。物事の決定権は幹部にあり、一般人員は幹部に服従しなければなりません。横社会でも、行動力のある人員が幹部のようにふるまうことはありますが、それは永続的なものではないし、様々な状況に応じて幹部的役割が入れ代わることもできます。
 統率力のある人がリーダーシップをとり、集団を引っ張って行くというと、一見理想的な集団の姿のように思えますが、そこでリーダーが神格化され、他の人たちが彼に盲従したり、幹部を聖域化してしまったりすると、それはもう縦社会です。

 労働運動を永続的に推し進め、それを担って行く後継者を育成するためには、職場が横社会としての集団を維持し、上下関係を作らず、極めてシンプルな運動の図式を描く必要があります。動ける者は率先して動き、知っている者は未熟な者の素朴な疑問にきちんと答える。仲間の行動をちゃんと評価する。迷っている者、困っている者を独りにしない。
 あまり難しく考えてはいけません。素直な気持ちで意見を出し合って、気取らない形で話し合って、友情と信頼関係を築いてゆきましょう。率直で単純明解で、不慣れな人を迷子にさせない、誰もが気軽に安心して参加できる運動を構築して行きましょう。
 専門知識よりも基本が大切です。応用力は多くの場合、基本を覆い隠して人を煙に巻くための策略です。そんなものは単純明解な基本的な発想と発言でいくらでも攻略できるのです。
 みんな仲良く、そして楽しく。これが職場仲間の理想的な関係ですし、強力な団結力の源なのです。

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